
審判者を前にした死者「ロアンの大時禱書」より
ロアンの画家はアザンクールの敗戦以後の時代を表すような悲劇性に満ちた表現を特徴としている。ネーデルラント出身とされているが、パリで「ブシコーの画家」「ベッドフォードの画家」と共同制作をしてもその個性的画風は際立っている。
「ロアンの大時禱書」はブルターニュの名家ロアン家の紋章が描かれていることからそのように呼ばれている。アンジュー公ルイ2世の妃ヨランド・ダラゴンの命で制作されたらしい。アンジュー家に伝わるナポリで制作された聖書やヨランドが譲り受けた「ベリー公の美しき時禱書」から多くの引用が見られる。1420年頃とされていた制作時期は、史的背景と様式比較からアンジュー公子とロアン家アラン9世の娘との婚約(のちに解消)の際、1430年頃に注文されたという説も出されている。
右図は「死者のための祈り」の冒頭で死者が神より死後ただちに受ける個別審判を表している。左上では死者の魂(金髪の青年)をめぐって悪魔と大天使ミカエルが争っている。死者はラテン語で「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしをあがなってください」。神はフランス語で「汝の罪をあがなえ、審判の日、われは汝とともにあろう」。
15世紀初め「ブシコーの画家」の工房で制作された時禱書に現れた、伝統的な葬儀や埋葬図に代わる新しいタイプの図像。この写本では死のもたらす悲痛の表現として「マリアの悲しみ(十字架降下)」と並ぶ優れた表現とされている。
世界美術大全集10 ゴシック2 1430年代
審判者を前にした死者「ロアンの大時禱書」より
ロアンの画家 1430〜35年頃
写本装飾 29×21cm(ページ全体)
パリ 国立図書館
「ロアンの大時禱書」はブルターニュの名家ロアン家の紋章が描かれていることからそのように呼ばれている。アンジュー公ルイ2世の妃ヨランド・ダラゴンの命で制作されたらしい。アンジュー家に伝わるナポリで制作された聖書やヨランドが譲り受けた「ベリー公の美しき時禱書」から多くの引用が見られる。1420年頃とされていた制作時期は、史的背景と様式比較からアンジュー公子とロアン家アラン9世の娘との婚約(のちに解消)の際、1430年頃に注文されたという説も出されている。
右図は「死者のための祈り」の冒頭で死者が神より死後ただちに受ける個別審判を表している。左上では死者の魂(金髪の青年)をめぐって悪魔と大天使ミカエルが争っている。死者はラテン語で「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしをあがなってください」。神はフランス語で「汝の罪をあがなえ、審判の日、われは汝とともにあろう」。
15世紀初め「ブシコーの画家」の工房で制作された時禱書に現れた、伝統的な葬儀や埋葬図に代わる新しいタイプの図像。この写本では死のもたらす悲痛の表現として「マリアの悲しみ(十字架降下)」と並ぶ優れた表現とされている。
世界美術大全集10 ゴシック2 1430年代
ロアンの画家 1430〜35年頃
写本装飾 29×21cm(ページ全体)
パリ 国立図書館
